飯田街道2(保見〜足助追分)
2011年12月13日
前回の7日に続いて飯田街道の続きを歩くことにしました。上の図の左端保見駅から中ほどの足助追分まで18キロほどです。
飯田から来ると、ここで三州岡崎へ向かう道と名古屋へ向かう道が分かれました。
保見駅を出発したのが9時50分、県道58号線を東南に歩きます。
県道は味気の無い道ですが、長善寺への道を過ぎて左に旧道へ入ります。
貝津神社とかで昔は海だったかと偲ばれます。常夜灯が残っていたりして街道の面影もあります。
また県道に戻り、淡々と歩きます。10時半頃愛知環状線の下を潜りました。
すぐ左に道満さんの祠と案内があり見に行く。
すぐに清酒菊石の浦野酒造への道があるが、そこを左折して蔵元の前を通るのが街道らしい。
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道満さんの祠 |
菊石の蔵元 この辺風情あり |
観音堂と弘法さん |
国道419号線との交差点にローソンがあったので昼食の助六を買って準備する。渡って坂を登って行くと、観音堂と弘法さんということで、赤い帽子と前掛けをしたたくさんの石仏があった。
そこから一寸ややこしいので図を掲載すると、味波という料理屋さんのある十字路で左折、味波を越えてすぐ細い道に右折して入るのが街道だそうです。
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浦野酒造からの図です |
味波のある十字路 |
この路地を入る |
入っていくと井郷の史跡・名所の案内が随所にあり、街道で間違っていないと心強く感じます。
名木アベマキとか役の行者さんなどの案内があり、役の行者さんでは飯田街道沿いの言葉もでてきます。
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名木アベマキはお墓の中に |
飯田街道沿いの言葉がある |
豊田市スポーツ公園 |
井郷中学を過ぎるとやがて豊田市スポーツ公園です。11時20分なのでここで弁当を食べることにしました。
20分ほどで昼食を終え、坂を下っていくと、廃線になった電車の駅が公園になっていました。以前は名鉄が猿投から御船・枝下と運行されていたらしい。
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ここで昼食休憩にする |
廃線の御船駅跡地公園 |
東海環状道路の下を潜る |
東海環状道路の下を潜ると、遺跡の発掘が行われていました。近くの畑の中に御船城跡の石碑が立っていたので、その関連遺跡のようでした。
そこから2キロほどで今度は猿投グリーンロードの下を潜ります。その手前にやはり廃線跡のしだれ駅公園があり、旧飯田街道の説明がありました。
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御船城跡で遺跡の発掘が行われていた |
猿投グリーンロードの下を潜る |
旧飯田街道の説明 |
こういう説明は私にとってありがたいです。それによるとこれから渡る両枝橋のすぐ近くから山道で力石峠に向かっていたようです。
現在は無いので八柱神社の前を通って、グリーンロードの傍の道で力石峠を目指しました。
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両枝橋で矢作川を渡る |
八柱神社 |
東海自然歩道の案内 |
力石峠は現在東海自然歩道が通っています。お地蔵さんも祀られていました。
峠を下って国道153号線に出ます。この辺りになると国道沿いものどかな冬の風景が広がります。
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力石峠のお地蔵さん |
風情のある国道沿線 |
名古屋から30キロか |
国道153号線の案内が名古屋から30キロ、香嵐渓まで8.5キロになっていました。直線だとそんなもんですか。
西中金のバス停を過ぎ、国道を離れて左に入ります。少し離れるだけで、ほっとした風景になります。
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西中金のバス停 |
少し入るだけで風情がでてくる |
自動車は行き止まりです |
この先行き止まりの案内がありますが、自転車と人は通れます。
ゴルフ倶楽部大樹の前が13時52分でした。少し歩くと国道の右手に小公園が見えてきました。見に行くとしゃくやく姫の塚とか書いてありました。
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ゴルフ倶楽部大樹 |
しゃくやく姫の小公園 |
野口雨情の歌碑 |
公園の清掃をしている人に聞くと、ここは昔電車を誘致するために整備した道なのだそうです。結局、誘致どころか既存の線も廃止されたのだから、電車は来るわけもなかったのですよね。飯田街道は国道の北側をかって通っていたそうですが、今は無いとか。野口雨情の歌碑がありました。ここが雨情の先祖の住んだ場所とか。
国道の左手に増慶寺という大きなお寺がありました。右手に通る真っ直ぐな道は、先ほどの電車を誘致するための道のようでした。
14時36分、足助追分の交差点が見えてきました。
東岡崎行きのバスは1時間に1本で、14時55分にあるはずなので丁度良い時間でした。
次は12月15日から3泊4日で長野県飯田まで歩きに行きます。
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