マーリからウズベキスタンのブハラへ
2014年10月19日(日)
今日はウズベキスタンの国境までバス移動です。国境までは300キロ、国境からブハラが100キロといったところでしょう。
その間は過ってのシルクロードであることは言うまでもありません。
今日は国境近くの街トルクメナバードに大統領が来るとかで、途中の道路の混雑が予想され、街の飲食店も閉められるとか。
それで出発時間を少し遅らせ、昼食を弁当に変更して、8時に出発しました。
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マーリのホテル |
チャイハナ まあ飲食店ですね |
トラックの列 |
途中チャイハナで弁当を受け取り、一路草原の中を国境を目指します。
すると途中の検問所でトラックの長い長い列ができていました。大統領の性でしょうか。
我々のバスはなんとか止められずに先へ進めました。
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草原の中で青空トイレ |
野生のラクダは居ないそうですが |
ガソリンスタンド |
草原の一本道でトイレも無く、皆さん青空トイレです。途中にラクダが何頭かいました。現在、野生のラクダは居なくて、皆持ち主があるそうですが、これらは逃げたのかな。ガソリンスタンドが現れると、トルクメナバードは近いですね。
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トルクメナバードに入る |
陸橋の上から |
お葬式に出会いました |
11時20分頃、トルクメナバードに入りました。今日はここで新しいバザールの開所式があり、それに大統領が出席されたらしいのですが、うまく渋滞にはかからず抜けられたようです。
街をでるとすぐ、ウズベキスタンとの国境を流れ、アラル海にそそぐアムダリア川があります。
この川に1910年に架けられた浮き橋がありますが、老朽化して建て替えが予定されています。
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アムダリア川の橋を歩いて渡る |
パントン橋は浮き橋です。 |
万一のため、バスの乗客は降りて歩いて渡れとのことです。喜んで、その様子を写真に撮りたいところですが、橋の撮影は禁止です。
バスの中から1枚と、渡ってから青空トイレして1枚写しておきました。
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今日の昼食 |
綿花を運ぶトラック |
トルクメニスタン側国境 |
国境も近いので弁当を食べます。なかなか旨い(笑)。トツクメニスタン側国境の到着は12時半ごろです。
トルクメニスタン側の出国手続きは比較的順調で20分で終わりました。そこから写真下左の国境ゲートを越え、緩衝地帯を1キロほど荷物を引きずって歩きました。
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前方ゲートが国境で、その先は緩衝地帯 |
ウズベク側で可愛い動物がお出迎え |
2時過ぎにウズベキスタン側国境に着くと、そこにもタクシー?が待っていました。乗用車が1台です。ここから入国事務所まで1キロを、やはり一人1ドルで運んでくれるという。経験のため、更に1キロ歩いてみたいという3人を除いてタクシーを使いました。
私も歩こうかと思いましたが、炎天下もう1キロ歩いて汗を掻くのもいやなので車にしました(笑)。
2時20分頃、入国審査開始、ここはスムースですが次の税関が例の所持金検査などで時間がかかります。
係官も一人しか居ませんしね。全部終わったのは3時20分頃でした。結局3時間弱ですが、添乗員さんによると非常にスムースだったとか。
さてブハラですが、下の図を見てください。ヒバ、マーリ、サマルカンドに囲まれたシルクロードの十字路だったことが解ります。
右下に伸びる道はアフガニスタンを通ってインドへ通じる道でもあります。
ブハラは過って、中央アジアだけでなく、イスラム世界全体の文化の中心だったそうです。
5世紀頃の唐の文書にも出てくるそうで、その頃は中央アジア一帯を隊商で廻ったソグド人の街でした。
9世紀に起こった最初のイスラム王朝、サーマーン朝はブハラを首都にしました。
13世紀のジンギス・ハンの襲来で滅亡するが、その後のチムール王朝はサマルカンドを首都とする。
そのチムール朝を滅ぼしたウズベク族はブハラを首都にしてブハラ・ハン国を作った。16世紀初めです。
このブハラ・ハン国はソ連に編入される1920年まで続いた。
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羊や牛の放牧はいずこも同じです |
ナンを売っている |
ブハラ市街へ入ってきた |
3時25分、迎えのバスに乗り込みブハラを目指します。ウズベキスタンに入ると、なんとなく緊張が解けます。普通の法治国家へ来たからかな(笑)。
5時頃にはブハラの旧市街に入ってきました。
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旧市街の野外レストラン |
旧市街 ホテルの近く |
今夜のホテル |
今日のホテルは旧市街の中にあり、明日の観光はすべて徒歩でできるそうです。
夕食はホテルの食堂で食べたようですが、何故か写真がありません。魚のグリルが出たそうですが。
明日はブハラ観光です。
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