イスラム文化の中心ブハラ
2014年10月20日(月)
今日はブハラ旧市街の歩き観光です。
まずホテルの近くのボロハウズ・モスクへ。18世紀に建てられた王専用のモスクです。
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健康的な朝食 |
ボロハウズ・モスク |
柱や天井の装飾が美しい |
アルク城のすぐ前にあり、祭りの日には王が城を出て、ここで祈ったという。20本のクルミの木の柱が池に写り、40本に見えるところから、40本のモスクとも呼ばれるそうです。
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柱はクルミの木でできている |
アルク城、城壁の補強 |
絨毯は家庭の必需品 |
アルク城の観光は9時からだそうで、後回しにして近くの神学校へ。途中の道筋もお土産屋さんが軒を並べますが、今日は月曜日でお休みの店も多いとか。
絨毯を売る店が多いのですが、絨毯は家庭の必需品で、1年分の収入を費やして買うそうです。お金はどこから出てくるのかな。
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アルク城広場からカラーンミナレットやモスクを見る |
アルク城の美しい城壁 |
ここでも皆は現地の人たちと記念写真です。
まず、ミルアラブ・メドレセへ。16世紀に建てられたチムール様式の神学校です。
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神学校近くで混ざって記念撮影 |
ミルアラブ神学校の内部 |
モスクには身体を清める場所がある |
ミル・アラブ神学校はイスラム教を否定したソ連時代でも開校を許されイスラム教の教えが説かれていた数少ない神学校です。
現在も中央アジア各地から学生が来て学んでいるそうです。
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メドレセは神学校という意味 |
日本語ペラペラのガイド、サイーダさん |
1536年に建設したウバイドラ・ハーンは3000人のペルシャ奴隷を売って建設資金を作ったとか。それで、この建物の土台は煉瓦と粘土ではなく、人々の涙と血と悲しみだと歴史家が記しているそうです。
モスクでの礼拝はまず身体を清めてからと言うことで、その場所と清め方の説明がありました。日本人が神社の入り口で手と口を洗うより、もっと丁寧に洗いますね。
これでは、中央アジアのように宗教色が薄い国では、説明が必要ですね。
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身体の清め方を説明している |
民族衣装で記念撮影はいかが |
露天商の小母さんも顔なじみ |
ガイドのサイーダさんはタシケントから来ていますが、ウズベキスタン中の観光地で顔なじみのようです。
ブハラでは丸屋根のバザールが過って5つ有って、両替市場、帽子市場、宝石市場などと言われ、専門店が並んでいたらしいです。
例えば隊商は、まず両替市場へ行って現地通貨を調達し、それからいろいろ買い物をして、最後に宝石市場で奥さんへの土産を買うとか。
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お爺さんはウズベクの人気キャラクター |
子供がお菓子を売りに来た |
細密画もブハラ名物 |
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スワン形ハサミは人気のお土産 |
タキ(丸屋根)バザール |
民族衣装 |
ブハラで売られているお土産としては、香料、帽子、絨毯、細密画、民族衣装などですが、「地球の歩き方」にも紹介されているというハサミが人気です。
ハクチョウを模ったハサミで25ドルとか。送る相手のイニシャルを彫ってくれるのが、受けていました。
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ブハラは地下にイスラム以前の遺跡が眠っているらしい 仏教寺院とか |
中央アジアに現存する最古のイスラム建築 |
マゴキ・アッタリ・モスクという青いタイルの無いドームのモスクがあります。穴の中という意味で、1936年に掘り出されました。蒙古襲来のときも砂に埋まっていたため破壊されなかったとか。6世紀まではここに仏教寺院があり、その後バザールになり、ゾロアスター教の寺院になり、9世紀に現在のモスクが建てられたとか。
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観覧車からカラーンミナレット方面 |
観覧車は人気だ |
壺に入った珍しい料理 |
イスマイール・サーマーニ廟も9世紀に建てられ、これも土砂に埋まっていたため蒙古の破壊から逃れた最古のイスラム建築で、世界中の考古学者や建築家に注目されているそうです。1925年に発掘されました。
ここは公園で、ソ連時代に造られた観覧車があります。壊れたり停まったりしないか心配ですが乗ってみました。ブハラで一番高い位置から写真を写したかったから。
昼食に、壺に入ったジャガイモや肉・野菜の蒸し料理が出ました。なかなか美味しい。以前、タシケントで壺に入ったスープ料理が美味かった覚えがあります。
壺に入っている料理は美味いのかな(笑)。
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アルク城入口の監獄 |
ライオンの像は珍しい |
ブハラ・ハンの夏の宮殿は博物館に |
アルク城に行きました。歴代のブハラ・ハンの宮殿です。最初の築城は2000年前と言われますが定かではありません。7世紀には女王が居たと文献にあり、12世紀にはジンギス・ハンによって大虐殺がありました。その後も破壊と修理の繰り返しだそうで、現在のものは18世紀の建築だそうです。
王の権力を示すため、ライオンの像がありますが、これは本来イスラムの教えである偶像崇拝の禁止に反するものだそうです。
一寸離れて、シトライ・モヒ・ホサ宮殿と言う夏の宮殿があります。外観はヨーロッパ調、内部は東洋風という感じです。池やハーレムもあります。
宮殿の中は博物館になっています。
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リヤビ・ハウズ(池)の傍のショーレストランへ |
神学校の広場の周囲で食事と踊り鑑賞 |
楽団も本格的 |
16時20分頃ホテルに帰ってきました。お疲れです。ここで19時半の夕食出発まで休憩時間です。外へ出た人は居るでしょうか。
過ってブハラは水の都と言われ、200近くのリヤビ・ハウズ(池)があったそうですが、ソ連時代に埋められ、現在残っているのは6か所だそうです。
ホテルの近くのリヤブ・ハウズの傍にナディール・ディヴァンベギ・メドレセという17世紀に建てられた神学校があります。
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民族舞踊の夕べです |
ファッションショーもあった |
そこが現在は土産物屋になっていて、夏の夜は民族舞踊のコンサートが行われます。今日はそこで夕食を食べながら民族舞踊とファッションショーを楽しみました。
10月なので一寸寒いけど、雨も降らず楽しめました。
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様々な衣装で楽しい |
食事はパッとしない |
カップヌードルを食べた |
ただ、この店に限らず、世界の各地で、ショーを見ながら食べる店で、美味しいものを食べた覚えがありません。
この店もそうでした。あらかじめ覚悟していたので、夜はカップラーメンを追加しました(笑)。
明日はチムールの生まれ故郷シャフリ・サブズを観光してサマルカンドへ行きます。
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