アラル海の悲劇

サマルカンドへ行く前に一寸寄り道です。
アラル海の悲劇と言う言葉をご存じでしょうか? 農業用水の取りすぎでアラル海が消滅するという話です。

アラル海何日だったかの多分朝日新聞の記事です。

中央アジアのカザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖・アラル海が、北部や西部を残して消滅しかかっていることが米航空宇宙局(NASA)の観測でわかった。

NASAが9月末に公表した衛星写真では、湖水の減少で分かれた東アラル海が完全に干上がっていた。

 旧ソ連時代からの灌漑(かんがい)で湖水が大幅に減ったことに加えて、今年は周辺の降水や降雪が特に少なかったことが影響したとみられる。

 アラル海は、かつては琵琶湖の約100倍となる世界第4位の広さがあった。

NASAによると、1960年代以降、当時の旧ソ連政府が農業用水の確保などのため、湖に注ぐ川を迂回(うかい)させて大規模な取水をしたことなどで縮小が進んだ。

 湖面は、小アラル(北)と大アラル(南)に分断。その後、大アラルは東西に分かれた。2009年にも東側の湖面がほぼ干上がったが、翌年の多雨で持ち直していた。

 今後もしばらくは、降雨量による湖面の広さの変動が続くとみられるが、湖水の減少とともに周辺の砂漠化が深刻化しているという。(ワシントン=小林哲)

左が2014年9月にNASAが公表した写真ですね。




今回ウズベキスタンを訪れて、ガイドさんに、「10年位前に来た時、キャビアをお土産に買いました。アラル海でチョウザメの養殖をして取れるので、ウズベキスタンのお土産と聞きましたが、今も有りますか?」と聞いたら、「いえ、今はもうアラル海の漁業は壊滅して、船の墓場になっているので、キャビアもありません。」という答えが返ってきました。

下の図を見てください。かってアラル海には、天山山脈を源とするシル川(シルダリア)とパミール高原を源とするアム川(アムダリア)の2本の大河が注いでいました。

アラル海

1920年代に成立したソビエト連邦は、コルフォーズ・ソフォーズと呼ばれる農業の集団化を推進した。中央アジアにおいてもそれは推進され、そのための農業用水の確保が強引に進められた。アム川からはトルクメニスタンのカラクム運河に水が引かれ、シル川からもカザフスタンやウズベキスタンに大小無数の運河が作られた。

その結果、600万haの農地ができ、中央アジアの綿花栽培はソ連のみならず世界の綿花栽培基地となり、今も輸出されている。
ただ、その結果、アム川からアラル海への流入はほぼゼロになり、シル川からの流入も最盛期の1%ほどに激減した。

一方、アラル海での蒸発量は年間2mの水位を下げている。降水量は10〜20cmであり、河川からの流入が無ければ毎年2m近い水位が下がることになる。
アラル海の東岸や南岸は遠浅であり、一晩に何十mも水際が引いたという。

1960年代から減り始めたアラル海の水面は、2009年には5分の一に減少していた。
2014年の写真では更に減少し、十分の一以下に成っているようです。

もう減少ではなく、消滅という言葉が当てはまるようです。

アラル海 シャフリ295 シャフリ303
アムダリア この大河の水が無くなる 無数の水路が引かれる そして広大な綿花畑が

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