カザフスタンを走る
2014年10月13日
今日は1日バス移動の日です。でもその道は過ってのシルクロード。
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ホテルの朝食は毎日ブッフェ方式です |
好きなものが選べて助かります |
道端の銅像、これも叙事詩か |
今日は下の図で、アルマトゥイからビシケク近くの国境付近まで戻り、更に東へタラズまで走ります。
距離にすると多分500キロを超えると思います。
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昼食は牛肉ワンタン |
たまに道が交差する |
道端の蜂蜜屋さん |
カザフスタンは日本の7.2倍の領土に1500万人なので街と街の間は何もありません。
ただひたすら草原です。羊とたまに牛、さらにたまにラクダですね。豚は居ません。当然か。
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見渡す限りの草原に羊、いずこも同じです。 |
ソ連時代に造られたであろう鉄道 |
14時50分頃、パンク。
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タイヤ交換のドライバー |
タラズのホテル |
街を歩く小母さん達 |
ドライバーとガイドのテンチクさんが協力して1時間ほどで予備タイヤに交換しました。
18時半ごろ、タラズのホテルに到着しました。
珍しく魚のソテーが出てきました。
白ワインを飲んでみましょう。
明日はタラズ河畔の古戦場を見た後、国境を越えてウズベクスタンに入ります。
2014年10月14日(火)
7時45分ホテル発
今日は歴史的に有名だというタラズ河畔の古戦場跡を見に行くという。
恥ずかしながら聞いたことがない。それで調べてみた。
時は西暦751年、日本では奈良時代で東大寺が作られて6年、この辺境の地で世紀の一戦が行われていた。
一方は現在のイラクのバクダッドを都とするイスラム帝国アッパース朝、一方は中国西安を都とする仏教王国唐。
両者が中央アジアの覇権をかけて激突していた。結果は天山山脈北麓の遊牧民族が寝返ってアッパース側に味方したため唐軍は大敗した。
その結果、唐軍は5万人が討死し、2万人が捕虜になった。
このため、以後この中央アジアの地がイスラム教となった歴史的な戦いであった。
またその捕虜の中に、製紙技法を知る者も居て、ヨーロッパに製紙技術が伝わった歴史的な戦いであったという説明もあった。アッパース朝は以後、ジンギスカンの東征まで、この地を支配することになった。
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丘の上からタラズ河を見る |
丘の上には何かの廟があった(笑) |
そういう意味では、ここは本当に重要な古戦場で、日本の川中島とはスケールが違う、歴史を変えた古戦場でした。
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タラズの街の銅像 |
アイシャ・ビビ廟 |
またパンクした。 |
9時20分頃タラズの街に戻り、アイシャ・ビビ廟というのを見学した。タラズはシルクロードの要衝として栄え、10〜12世紀頃はカラ・ハーン朝の首都であった。
そのカラ・ハンはあるときサマルカンドの商人の娘アイシャに恋します。その悲恋のアイシャ・ビビと乳母の墓です。
9時50分頃出発し、シムケントを経由して300キロ先の国境を目指しました。国境を越えれば30分でウズベキスタンの首都タシケントです。
200キロ先のシムケントで昼食、そして国境越えして、夕食はタシケントで久しぶりに中華の予定でした。
ところが走り出して1時間、草原の真ん中でまたパンクしました。
また1時間遅れかと思ったら予備タイヤが無いという。相談の結果、代わりのバスを手配したが来るのに何時間か掛かるという。
予備タイヤも探しているので、どちらか早い方で対応するという。いずれにしても何時間か掛かるようだ。
パンクは仕方ないとしても、昨日予備タイヤを使ったので、夜のうちに新しい予備タイヤを手配するのがプロのドライバーでしょう。
これは人災ですね。とは言っても今は待つことしかできません。
近くに丘があったので、一人でそれに登ったり、本を読んだりして時間を潰した。
結局、タイヤが来て動き始めたのは5時間半後の16時20分だった。
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自然の川なら貴重だ |
鉄道もある |
シムケントのモスク |
そして2時間半、延々と草原を走って18時50分にシムケントへ着いた。ここもなかなかの街らしいが観光予定は無かった。
夕食の時間ではあるが、国境が閉まってしまうとまずいので、昼食予定だったレストランで弁当を作ってもらってあった。
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昼食代わりの弁当が19時に出た |
23時頃ホテル到着 |
夕食は23時30分だった |
その弁当を食べながら、ひたすら夜道を国境に向け走る。21時15分頃国境に着く。ここでカザフ側の出国手続き。
大勢の人でごったがやす中、添乗員の岩井さんが頑張って、我々を優先してもらう。20分ほどで通過、すごい。
それから緩衝地帯を200〜300m荷物を転がしてウズベキスタン側の入国審査へ。
ウズベキスタンは所持金検査がうるさい。出国時に減っているのが当たり前で、増えていると商売したとみなされる。
23時にようやく入国したが、時差1時間で22時入国した。
目当ての中華レストランはもう閉店したので、夕食はホテルのレストランとなった。
長い1日で疲れたけど、明日は早朝の飛行機に乗るため、モーニングコール3時半、4時朝食で5時出発だって。
明日はヒバへ行きます。
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