風伝峠から丸山千枚田
2014年12月13日

今日は熊野体験企画の同窓会ウオークです。
同窓会と言うのは、今年実施された紀伊長島から新宮までの熊野街道伊勢路のウオーキングに参加した人の同窓会です。

今日のコースは熊野街道の本宮道です。
JR阿田和駅に集合し、バスで尾呂志へ。そこから風伝峠を越え、熊野街道からは外れて通り峠・丸山千枚田を経て旧紀和町の板屋まで歩きます。

千枚田

熊野街道は上の図の緑の線のように通じていたと思いますが、丸山千枚田が有名になったので、どうしても赤線のように歩く人が多くなりました。
JR阿田和駅から尾呂志へは下図のように尾呂志川沿いを走ります。私もこのルートのバスは初めてでした。もっと遠いとおもっていました。

尾呂志
JR阿田和駅には8時45分に着きました。この駅の傍には道の駅があり、熊野古道歩きやダイビングの行き帰りに、よくお世話になる所です。

風伝峠539

9時05分に出たバスは尾呂志川に沿って走り、9時半頃には尾呂志に着いていました。
今日は乗客が多勢ということで、三重交通さんが大型バスを増便してくれたそうです。

いつもは小型バスで乗客も少ないかもしれません。
阿田和駅近くの紀南病院から清流荘行の熊野市の公共バスです。

バスを風伝口で降りて、さぎりの里まで歩きました。そこに現地集合の方が待っていました。
このさぎりの里もできたのは新しく、岩清水豚のトンカツが美味しいです(笑)。

ここ尾呂志は「風伝おろし」という雲が山から雪崩のように降りてくる現象で有名です。10月から3月の冬の朝に見られる現象だそうです。
私も2回ここの旅館に泊まったことが有るのですが、まだ残念ながら映像でしか見ていません。

ここからは風伝峠に向かいます。

風伝峠

熊野街道は花の窟で浜街道と本宮道に分かれますが、本宮道は今は崩壊で通れない横垣峠を通って、ここ尾呂志へ下ってきます。
そして上の図の右端「大杉」と書かれた所で尾呂志に入ってきます。

風伝峠541

大杉には樹齢何百年かの杉の大木があり上野の大杉と呼ばれています。
街道はそこから尾呂志の集落に入るのですが、最近橋が流されたとかで、迂回して集落に入りました。

下の写真は上の図の右下「追分」と書いた所にある祠と道標です。下の方へ進むと新宮の速玉大社への道だそうです。
風伝峠へはここを右折、山側へ登って行きます。

風伝峠554

かって私は新宮からトロトロ坂を通って、ここ尾呂志に来て、風伝峠・通り峠を通って北山村へ歩いたことがありますが、この祠と道標には気づきませんでした。
多分、道を間違えて別の道を歩いたのでしょう。もっとも、その時は筏師の道として辿っていましたが。

10時頃さぎりの里を出て、ここ追分を出たのが10時35分、風伝峠の登り口の世界遺産の石碑が10時50分でした。

風伝峠563

世界遺産の部分はほんの少しで15分の登りで林道に合流します。
ここにスタンプ台があり、スタンプを集めている人は押していました。

風伝峠567

そこから10分も歩けば茶屋跡に出ます。昔は風伝餅が名物でしたが今はカラオケ喫茶として営業されているそうです。
風伝峠は下の写真の左の坂を上って2〜3分の所ですが、今は境界争いとかで通れないそうで、中央の道を行って引き返しました。

風伝峠569

この辺りが風伝峠らしいです。近くにお地蔵さんも有ったらしいのですが盗まれたとか。
さきほどの林道に戻って、林道を横切り、国道311号方面の案内に従い下って行きます。熊野街道はその林道を歩くのが本当です。

風伝峠574

15分ほどの下りで国道に降りてきました。11時45分頃です。
ここで後続の班を待ったり、語り部さんの交代があったりして、15分ほど休憩しました。

風伝峠577

下図の右下が国道との出会いです。そこから一寸風伝トンネル側に引き返して県道40号線で通り峠登り口に向かいました。近道だそうです。
ただ自然歩道としては、国道を逆に1キロほど進んでから右折して登り口に行くのを推奨しています。

千枚田

登り口到着は12時15分頃、トイレもあります。ここで昼食休憩となりました。30分ほど休憩して12時50分頃登り始めました。

風伝峠582

最初から苦しい登りが続きますが、30分弱登ったベンチから、先ほど通ってきた風伝峠が見えます。
その奥には熊野灘がかすかに見えています。直線距離にすると10キロほどだそうです。

風伝峠586

登り口から40分ほどの登りに一汗かいて、ようやく通り峠です。お地蔵さんと東屋があります。
でも、ここからさらに登った所に丸山千枚田の展望台があるのです。千枚田を見下ろす風景は絶景なので、行かないわけにはいきません。

風伝峠591

峠から登ると途中から170段の階段になります。後50段とかの看板に励まされて、15分ほどで展望台に着きます。
冬の千枚田で緑や黄金色の棚田はありませんが、それでも絶景には違いありません。
大峰山脈の釈迦岳が見えるそうですが、今日は雪雲に覆われて見えません。
天気予報では日本列島大荒れで、日本海側は大雪とのことでしたが、雪雲はここまできていました。

風伝峠596

通り峠からの下りは登りの半分の距離です。15分で県道に降りてきます。県道が登ってきているのですね(笑)。

風伝峠606

そこから5分も掛からず丸山千枚田の上に出てきます。
現在千枚田は実際には1300枚ほどあるそうです。一時は500枚位に減っていたそうですが、オーナー制度など取り入れて増やしてきたそうです。

年間3万円とかのオーナーさんが300人ほどは居られるそうですが、それでも千枚田の維持管理は赤字だそうです。

風伝峠614

先ほどまで降っていた雪が、嘘のようにあがって青空が見えてきました。

風伝峠621

後方の山の右肩に先ほど登った展望台が見えます。
この下に、町営の宿泊施設「千枚田荘」がありますが、以前宿泊を申し込んだとき、一人では駄目と断られました。

まあ、非効率ですよね。でも、さすがお役所仕事だと思ったものです。今はどうなっているでしょうか?

風伝峠625

千枚田荘を14時55分頃出て板屋に向かいます。距離にすると4キロ一寸、1時間ほどの距離です。
写真は最初の集落、多分長野の集落です。

風伝峠629

入鹿中学です。以前鉱山で栄えた頃は600人の生徒が居たそうですが、今は30人だそうです。
しかし、全国でも珍しい、美しい木造建築の校舎ですね。木材の防腐や防虫の加工は地元ではできず、遠くでやってきたとか言ってました。
残したい建物ですね。

風伝峠635

16時05分に板屋の鉱山資料館に到着しました。
紀和町の鉱山は奈良時代からの営みで、奈良の大仏鋳造の銅は、ここからも大量に供出されたそうです。

風伝峠641

最近では石原産業の銅鉱山になっていたそうで、その施設が今も目の前の山に残っています。
「何これ珍百景」が4回も撮影に来たそうですが、まだ一度も放映されていないと資料館の人が言っていました。

風伝峠640

館内は江戸時代から近代にいたる鉱山の資料やいろんな鉱石が展示され、勉強になります。

風伝峠654

今日のウオーキングはこれまでで、バスとJRを乗り継いで尾鷲に帰りました。
今日は疲れたし、時間も遅いので、近くのスーパーで買い出しして、部屋でゆっくり疲れを癒しました。

風伝峠657

明日は観音道へ行きます。

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