四国遍路4日目(2/13) 13番大日寺〜16番観音寺
今朝は夜中から胸焼けがひどく、嘔吐した。下痢も伴い熱もあるようだった。
そう暴飲暴食した覚えもないが、胃腸が弱っているのは確かなようだった。
そこで今朝は朝食を抜いた。皆さんは心配してくれるが、絶食するのが胃腸には一番良いと思っている。
持参の薬は整腸剤と風邪薬だったのでそれを飲む。
胸焼けと嘔吐が心配だが、日頃そんな症状が無いので適当な薬を持っていない。
それより問題は、朝起きたら雪が降っていることだった。
宿を出てしばらくは山道なので、傘を挿したり、合羽を着たりするのもおっくうです。
2キロほど歩いて玉が峠までたどりつけば、そこからは車道のようなので、傘を挿してでも歩ける。
夕べは我々二人の他に若者が一人と、その他に野宿の若者が居たようだ。
雪も降って寒いので野宿の若者も屋根の下に入れてもらったようだった。
彼ら3人が食べる朝食を見ていたら欲しくなったので、みそ汁だけ飲んだ(笑)。
ともかく今日は観音寺までと距離も長いので朝6時50分に出発した。
車道を100mも歩いて左の山道に入る。
山道は一山越えてまた里に出る。
そこから又山に入るが、軽トラが走るような良い道をしばらく歩く。
こんな道が峠まで続くならうれしいなと思っていると、遍路道の案内が出て、谷筋を登り始める。7時20分頃です。
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谷筋の道 急坂は越えた |
へんろ道の案内にほっとする |
その谷筋の遍路道が急だった。道なき道の感じで、焼山寺のへんろころがしより、はるかに急坂です。その上案内も少ないので間違っていないかと心配になります。
25分間の登りで顎を出す頃、ようやく林道にでました。
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林道に出た 7時45分 |
玉が峠 7時48分 |
そこはもう玉が峠のすぐ傍でした。そこで一寸休憩しました。ここからは車道の下りが続くはずです。
でも、こんな道が靴擦れには大敵です。
集落の道を淡々と歩くこと25分、眺望のよい遍路休憩所がありました。眺めると焼山寺山方面は雪雲に覆われています。
昨晩はだいぶ降ったかもしれません。1日ずれていたら大変だったかも。天候に感謝です。
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天空の休憩所 8時18分 |
植村旅館 9時18分 |
45分ほど歩くと川に出ました。鮎喰川の支流のようです。さらに10分ほどで集落があり抜けると植村旅館があります。
ここで右折して橋を渡ります。
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再度川を渡る 9時40分 |
阿野橋を渡る 10時21分 |
そこから対岸を川沿いに歩き、一寸解りにくい駒坂峠越をすると、再度小さな橋で川を渡ります。
そこから阿野橋までが結構長かった。 須賀橋とか長瀬橋とかが阿野橋との期待を裏切りながら過ぎて行きます。
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11時23分 |
11時36分 |
阿野橋を渡った県道21号線は道幅も拡充され、車も多く歩きには向きません。
阿野橋を渡らず直進して、県道20号線--県道123号線を経て大日寺に向かう方が歩き遍路にはおすすめのようです。
神山町と徳島市の境界まで1時間、そしてすぐ徳島刑務所の看板があります。
そして更に15分で「おやすみなし亭」という遍路休憩所です。
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11時50分 12時15分出発 |
紅梅がきれい |
ここでお握り弁当を頂きました。今はシーズンオフなので二人で占領させてもらっていますが、オンシーズンならそうはいかないでしょうね。
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13番大日寺 12時40分 |
14番常楽寺 13時30分 |
休憩所から25分でようやく13番大日寺です。近所には旅館が3軒もあり、正面にある阿波一宮と共に往時は栄えたことが偲ばれます。
大日寺は十一面観音がご本尊です。一寸奇異に感じますが、一宮の本地仏だと聞いてうなづけます。
14番の常楽寺までは鮎喰川を渡って細い道に入って行きます。地図では近いのですが、疲れている性か遠く感じます。
常楽寺の本堂や大師堂は岩盤の上に建っていて趣があります。
15番の国分寺はすぐ近くです。今は小さな札所ですが、聖武天皇の勅願によって建立された当時の阿波国分寺は広大な敷地に大伽藍を有していたと思われます。
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15番国分寺 14時 |
16番観音寺 14時45分 |
16番の観音寺へは一旦広い車道にでます。国道192号線です。
そして案内に従い商店街に入ると観音寺です。
今日はここまで。すぐ近くの料理旅館鱗楼さんに泊まりました。
料理旅館だけあって料理は洗練されています。
近所に薬局があったので、胸焼けと嘔吐に効く薬を買いました。
お酒も控えめです。
費用 39121歩
前日宿泊費 3300円
薬ビール等 1600円
納経費用 1280円
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小計 6180円
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