大和街道
大和街道は東海道は関宿の西の追分から分かれて、奈良に向かう道です。
JR関西線に沿って柘植、上野、島ヶ原までが三重県、そこから木津川沿いに京都府の南山城村に入り、笠置町で南下して柳生街道で奈良へ入ろうと思っています。
ところで関宿ですが我が家のある長島町からは東海道で繋がっています。以前、参宮道を歩いたとき、長島から四日市の日永追分までは歩きました。なので今回、日永追分から関宿までの東海道を歩いておくことにしました。
国道1号線で24キロ位なので、旧道はもう少しあるかもしれません。
左写真は日永追分伊勢神宮遙拝の石碑です。昔はこの鳥居をくぐって参宮道に入ったとか。
東海道 日永追分〜関宿
9/11/04 (土) 天気くもり メンバー単独
日永追分は近鉄四日市から日永線内部行きで13分です。駅から1〜2分の追分に着くと地元の人がわき水を汲んでいました。
8時35分に出発です。戻って追分駅の前を通り線路に平行した街道を行きます。
内部駅の近くで国道1号線を横断すると、新しく建てられた東海道の道標があります。
すぐに内部川に突き当たりますが、ここは迂回して1号線で川を渡ります。案内があります。
わたってすぐまた1号線を渡りたいのですが無理なので100m程先の信号で左折して横断します。
街道に入りすぐに直角に2度曲がると「杖衝坂(つえつきざか)」です。日本武尊が東征の帰りに杖をついて登ったといういわれがある坂です。坂の中腹には常夜灯や石碑があります。
井戸も二つありました。登り切ると、これも日本武尊ゆかりの血塚社(写真右)があります。
坂を過ぎてしばらく平坦な道を歩くと、今度は右に1号線を見ながら降って行きます。降りきって1号線と合流するとすぐ左手に豊富稲荷さんがあります。
丁度1時間歩いたので5分ほど休憩しました。
出発してすぐ左にコンビニがあり、切れた電池を補充しました。稲荷さんから1キロほどで国道から左に分かれます。分かれてすぐ右手に延命地蔵の祠があります。
1キロほどでまた国道に接し、すぐ横断します。左に地蔵堂を見ながら「石薬師宿」に入って行きます。小沢本陣跡や佐々木信綱の生家の前を通って歩くと自然に陸橋で国道を横断します。
石薬師の町並みは街道の面影があり、民家にも焼き物で街道を表している家もあります。陸橋を渡ると石薬師寺の裏門です。ここは大名も参詣したらしい有名なお寺です。この辺で10時40分です。
表門を出て右折するのが街道ですが、近くに源氏の御曹司ゆかりの神社があり見に行きました。ゆかりの桜もあります。少し歩いて小さな川を渡ると左手に石薬師の一里塚跡があり一休みしました。ここからJRを渡る道が消えているので迂回します。線路の下をくぐり、今度は国道の下もくぐります。また国道に合流して1500mほど国道歩きになりますが、面白くないので右に分かれ、JR加佐登駅の前を通ってみましたが何もありませんでした。
駅の側で線路を渡り、再び街道に合流してしばらく歩くと「庄野宿」の入り口です。庄野宿は東海道五十三次の四十五番目の宿ですが、安藤広重の「庄野の白雨」という、旅人が簑笠を着て走っている版画であまりにも有名です。でも現実には当時の建物は何も残っていないようです。ただ中程に資料館があり、無料で見学できます。慶応年間の太政官の高札などが珍しいようです。管理人の女性も親切に説明してくれました。(写真左)
11時40分頃です。
また国道にぶつかりますが、今度は渡れないので迂回して国道の下を抜けます。街道に戻るとすぐに石碑や石柱があり「従是東神戸領」とか刻まれています。「女人堤防」が有ったらしいのですが見逃しました。12時になり空腹ですが適当な食堂がありません。少し歩いて左手に富田の一里塚跡と川俣神社があり休憩しました。(写真右下)
12時10分です。
少し歩くと鈴鹿川ですが、ここは迂回して和泉橋を渡ります。街道に戻り半分道に埋まった道標などを見ながら井田川の駅の手前でJRを渡り、駅の前を通って1号線にぶつかります。残念ながら駅前食堂もありませんでした。国道の陸橋を登ると食堂が見えましたが、引き返すのも癪なので街道に入ります。
国道に平行な街道を歩くと、1690年に建てられたという県内最古の道標があります。国道から離れて和田町の町並みを抜けると右手の石垣の上に「石上寺」がありお参りしました。熊野那智大社の関係だそうです。
和田の一里塚跡を過ぎて500mも歩くと亀山ローソクの工場があり、すぐに「亀山宿」の入り口になります。入ってすぐ適当なうどん屋があり入りました。うどんだけです。きつねうどん350円で安いです(笑)。一寸塩味が利きすぎていますが、疲れた身体にはいいかも。店のおばさんが「10年ほど前までは学生さんが多かったけど、最近は定年前後の人が多い。」と笑っていました。1時50分から2時15分まで昼食休憩です。
亀山宿では街道沿いの全ての家に、昔の屋号を示す木札を掲げていました。古い建物などは無いようです。中心部に入ると街道には黄色の透水舗装がされています。亀山城の側を通って街道は続きます。亀山城から1500m位の野村に「野村の一里塚」があります。椋の巨木が植えられており、貴重な資料です。本当は街道の両側に有ったらしいのですが、現在は右側だけです。以前、これだけを見に来たことがあります。今日も団体のウオーカーが来ていました。彼岸花が根本を覆っていました。3時5分〜15分休憩。
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うどんやさんにも「こめや」の木札 |
典型的な街道筋の民家 |
野村の一里塚 |
ここから関宿までは4キロ程度ですが、足が痛くなってチョロチョロ歩きです。情けない(^_^;。膝頭内側の筋と太股の付け根が痛いのです。引きずりながら1号線に向かっ降って行きます。途中、布気神社などありますが参詣する元気なく素通りです。1号線は高架で渡り、名阪国道の下をくぐります。高架下には広重の版画が拡大表示されています。東名阪と伊勢道を直接繋ぐ工事が進行中です。
名阪国道を越えると関宿はもうすぐです。JRの踏切を渡ってすぐ1号線ですが、国道はここで渡っておきましょう。左折して国道を200mも歩けば「関宿」の入り口です。
「関の小万」のもたれ松を見ながら、関宿に入ります。4時です。
東の追分を経て、電線も地中化されて、まるで映画のセットを見るような町並みを通ってJRの関駅までは20分です。
関宿の詳細は伊勢別街道をご覧ください
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