伊勢神宮から滝原宮へ1
滝原外宮
熊野古道伊勢路といえば起点は伊勢神宮にきまっている。だけど伊勢からの道はガイドブックも無くルート不明なので大内山村のツヅラト峠から歩いていた。

調べているうちに女鬼(めき)峠と三瀬坂峠が解ってきた。更に「みえ熊野学研究会」編の「熊野道中記・・いにしえの旅人たちの記録」を手に入れた。

その中に、「巡礼道中指南車」の「いせ山田よりくまのなち山まで 四十里」の紹介と解説ががあり、ようやくルートが解った来たので今回歩くことにした。

コースは伊勢神宮外宮から大宮町の滝原宮までの一泊二日です。二万五千地形図「伊勢」「国束山」「横野」「伊勢佐原」を使っていますが、大部分舗装道路です。上の写真は伊勢神宮の外宮入り口です。


伊勢外宮から栃原へ

伊勢路1

12/28朝9時過ぎ近鉄伊勢市駅につく。今回は時間の都合で内宮参拝はなしです。外宮から内宮への道は古市街道といって遊郭で栄えた街道があります。参宮道の「伊勢神宮参拝」をご覧ください。

JR側の出口から5分で外宮の正面に出る。コンビニで弁当とお茶を買い、身支度を整えて外宮に参拝する。出口から信号を渡ると「神路通」というのが目に付いた。

別宮の「月夜見宮(つきよみのみや)」というのがあり、神が通った道らしい。これにも参拝する。神宮からは旧23号線を宮川方向に進む。宮川の土手に突き当たった辺りが「柳の渡し」だったと思われる。対岸の尾崎萼堂記念館横に説明がある。私は土手伝いに度会橋に向かい、橋を渡った後左折して記念館から熊野街道に入った。

滝原月夜宮

滝原渡し

滝原渡し2

月夜見宮

柳の渡し付近

柳の渡し由来

川端−上地町−田丸(玉城町

滝原道標2この間は特に何もなく、古い町並みや田んぼの中を通っていく。玉城郵便局の前が昔の交通の要路で、「左よしのくまの道、右さんぐう道」の道標があったという。右は京大坂からの伊勢本街道、左は和歌山別街道・熊野街道の分かれ道だったようだ。

通り過ごして田丸城跡を見に行く。城跡には玉城中学があり、校庭に前述の道標が保存されている。生徒に聞いてみたが知らないと言う。正門付近に大切に保存されていた。天守閣跡に着いたころには12時で昼食にする。

ここからは東紀州地域活性化協議会の「熊野古道を歩く・・紀伊半島東めぐりの旅」にガイドされている。「田丸−女鬼峠−栃原」18キロ6時間30分とある。今日の宿は栃原としているのでコースタイムどおりだと7時になってしまう。ともかく明るい内に女鬼峠を越えたいと思う。




滝原道標1

滝原道標3

玉城の郵便局前の道標

田丸城の学校の前の石標


田丸から野中までは、おおむね県道13号線に沿って進む。野篠の接待地蔵を過ぎて、原の集落に入り、途中で県道に別れて右に入る。巡礼道引き観音が入り口にある。すぐに県道を横切り熊野街道を行くと野中になる。永昌寺があり、土下座中に居眠ってしまい切られた旅人を弔ったという「ねむり地蔵」がある。ほどなく野中の追分けとなり、ここで和歌山別街道と別れて左折する。

滝原田丸城

滝原城眺め

滝原接待地蔵

田丸城の石垣、なかなかのもの

城跡から伊勢路を見る

接待地蔵

滝原柿畑 滝原導き地蔵 滝原野中
この辺は柿の名産地らしい 導き地蔵さん 野中の永昌寺

滝原眠り地蔵

滝原野中道標

滝原女鬼峠道標

居眠り地蔵の伝説は哀れ

ここで和歌山別街道と分かれる

女鬼峠登り口


道案内も所々あり、心細いながら歩いて行く。県道119号線に入り山裾を歩く。成川で県道と別れ旧道にはいり、すぐ県道と交差する辺りに「女鬼峠登り口」の道標がある。伊勢自動車道の下をくぐって右折、いよいよ峠の登りにかかる。往時、野中までは賑やかな街道であったと思われるが、ここから旅人が始めて味わう峠道である。とは言っても標高120mの峠であり20分も登れば峠に着いてしまう。女鬼峠は岩盤を掘り下げた、いわゆる「切り通し」である。
熊野付近の峠と異なり、石畳も無く、猪の掘り跡もない。峠を越えると如意輪観音の石仏がある。ここで少し休憩する。午後2時半、田丸から2時間である。

滝原切り通し

滝原女鬼地蔵

滝原女鬼池

女鬼峠の切り通し

如意輪観音さま

峠の近くのため池

この峠を越えたあたりで旅人は始めて紀州の山々を見ることになる。七洞山や浅間山を多分見たと思われる。峠を下ると県道709号にぶつかり相鹿瀬である。県道に沿って右折し、すぐ左折して旧道に入る。途中、県道とつかず離れず柳原の集落に入る。ここには「柳原観音」がありお参りする。

滝原川面

滝原柳観音

宮川の川面がきれい

柳原の観音堂


この辺り大台町に入っており、大台茶の産地である。宮川の流れを左手に見ながら支流の橋を渡ると新田である。大宮町への田口大橋の付近に「出張(でばり)遺跡」というのが有り、一寸覗く。その向かい側の旧道を1キロ半ほど歩くと国道42号線にぶつかる。熊野街道は国道を横断してJRの踏切を越えて続いている。

滝原旅籠今夜の宿「岡嶋屋」さんはJRの踏切を越えた辺りにあった。この辺りの唯一の旅館である。老夫婦が経営しているが、ご主人は明治生まれで90歳を越えているとか。なので食事はできず、どこかで食べることになる。子供の頃には5.6軒は旅館があり、法被姿の旅人を覚えているそうです。旅館に着いたのは午後5時前であった。脚が痛い。

写真は岡嶋屋さん前の熊野街道。





栃原から滝原宮へ